水害から4ヵ月が過ぎた茨城県常総市の水害被災地へ頼政代表と共に訪問してきました。12月に第一次避難所が閉鎖され、第二次避難所の旅館やホテルで生活している被災者がいま約50人ほどいます。当センターは茨城NPOセンターコモンズの中にあるたすけあいセンターJUNTOSを通して支援活動を展開しています。そこで私たちは避難所を中心にサポートを行ってきました。常総の町では、まだ家の修復工事があちらこちらで見受けられます。


工事中2_s

工事中_s

 
  今回避難所でつながった被災者の方を訪問してきました。4ヵ月経ったいま、やっと家の修復の目途も出てきて少し顔色がよくなり気持ちが安定してきた人たちもいます。「家ができて、落ち着いたら、得意料理をごちそうするから、その時はぜひ来てくださいね」、「避難所で約束したから、お鍋食べに来て」などうれしい言葉を頂きました。ただ一方で被災地でよくあることですが、環境が変わるたびに心がついていかなかったり、これまでたまった疲れがでて病気になったり、体調が悪くなったりしている人もいます。
ある方は、「不整脈がみつかり手術をしないといけないかもしれない。」と不安げに話してくれました。いまのうちに病気を治しておこうかな・・・と。同時に「家を再建したけれども、9月10日から時が止まっていて、自宅での暮らしが再開した時に9月11日から始まる」、「家を再建したからといって、何もないからすべて揃えなければならないし、いっぺんには揃えられないし」と、自分に言い聞かせながら話してくれました。また、「落ち着いたからかしら、最近水害の日のことを思い出すことが多く、昨日も夢に出てきたの」という方もいらっしゃいました。
 「避難所の時が懐かしいよ、いろいろあったけれど、辛い時に同じ釜の飯を食ったんだからね。みんなに会いたいよ。みんなどうしているかね」と避難所ではあまり話をしなかった男性が堰を切ったように話してくれました。「避難所の同窓会でもしたいね」というとほとんどの方が「したい!」と言ってくれました。せっかく住み慣れた自宅の戻ったにも関わらず、転出者や引っ越した方も多く、コミュニティが分断され、孤立化し、人間関係が薄れ、寂しく暮らしている方も多いのです。避難所では人間関係など辛いこともあったれども、否が応でも人と触れ合うことができたのです。被災地では悲しいかなよくある現象です。一度壊れてしまった人間関係を取り戻すのは容易ではありません。阪神・淡路でも、東日本でも「孤独死」「関連死」など悲惨な死が続出しました。


 街は壊れても、暮らしは壊れないよう、新たな暮らしを再建しなければなりません。そのためにも住民主体の住まい方を街の人たちと模索していきたいと思います。
                                                                                                  (増島智子)


(1月15日茨城新聞)
1月15日茨城新聞_s