2015東日本豪雨水害

被災地NGO恊働センターです。2015年9月に発生した東日本豪雨水害の救援レポートです。

 昨年9月10日発生した関東・東北豪雨水害から今日で半年が経ちました。鬼怒 川が決壊した茨城県常総市ではいまだ家の再建が進まず、不自由な生 活を余儀 なくされている方が多くいます。

 2月末で第二次避難場所のホテルや旅館も閉鎖となりみなさんかろうじて自宅 に戻ったものの、水回りと寝るところだけ修繕してもらって、他は床を あげた ままの生活になっています。その上、井戸水を使っていたところは水害後、大腸 菌が発生し、水道をひかざるを得なくなり、その工事がいまだ終 わっていない ので、煮炊きが十分にできず、野菜を煮るくらいで、お弁当などを買ってきた り、ご飯もレトルトに頼っている状態です。半年経っても被 災地の復旧はいま だ終わっていません。

 一方で、常総市では復興計画づくりが進んでいて、この3月末までに完成させ る予定です。けれど、その計画も十分に市民の声を反映できているかは 疑問で す。そこで、たすけあいセンター「JUNTOS」(運営:認定NPO法人茨城NPOセン ター・コモンズ)では、代表理事の横田さんが委員・ アドバイザーとして市民 の声を届けています。1月には「市民の集い」を開催し、商業、農業、子育てし やすいまちづくり、高齢者・障害者、外国人、 教育などのテーマ別に話し合 い、さまざまな課題が浮き彫りになりました。
例えば、農業では水路が確保されず、田植えに間に合うかどうか、もし作付けが できなければその場合いの補償はどうなるのか?子育ての場合、そのマ マさん たちが避難所などでストレスを抱え、他の場所に移らざるを得なくなったケース もあり、避難所の在り方も問われました。高齢者・障害者では、 障害などへの 理解や、共有する場を持つということが挙げられていました。商業では人口が減 ると商売ができないので、人口流出をとめたいなどの意見 が出ていました。外 国人は安価な賃金で就労させられ、将来への選択肢も少ないという課題もでまし た。それぞれに共通するのは、災害で顕在化した問 題ですが、日常からある問 題でそれを克服することが誰もが暮らしやすい、優しい街づくりにつながるとい うことです。例えば、バリアフリーにするこ とで、お年寄りも歩きやすくなり ます。

 21年前の阪神・淡路大震災でも、市民とNGOの「防災」国際フォーラム実行委 員会が発表した「市民がつくる復興計画」の原案では「神戸市と兵 庫県、国の 震災復興計画は震災直後に策定作業がはじまり、95年6月末から7月にかけて相次 いで発表された。震災の被害と構造が十分明らかになら ず、被災者の救援と復 旧事業が並行して進むなかでの策定作業だったが、発表当初から多くの問題が指 摘され、矛盾を含んだまま3年間を経過した。」 また「『まちづくり』はもとも と、長い時間をかけて地域づくりに対する住民の夢を紡ぎ出し、課題を共通のも のとしつつ地域住民の合意をつくり、住 民が主体性を発揮して行政とパート ナーシップのもとに進めていくべきものである」と書かれています。これはいま の東日本大震災および常総の被災地 でも同じことが言えます。住民が主人公の 街にその住民の声を反映できなければ人口も流出してしまいます。常総市の被災 者のつぶやきでまちやくらし 再生、復興で必要なことは?と聞かれ「人々が安 心して居られる事、仕事がある事、皆さんが協力しあう事ができるようにした い」と・・・。
 住民が一人ひとりが主人公になれるまちづくりを目指して、私たちも何かお手 伝いできることはないのか、現地の人たちとともに考えていきたいと思 いま す。これからも東日本大震災の被災地と向き合いつつ、常総の被災地を忘れず関 心を持ち続けてください。 
                                                                                            (増島 智子)

 水害から4ヵ月が過ぎ、まもなく半年を迎える茨城県常総市に訪問しました。被災地ではいまだ自宅の工事が終わっていないお宅が目に着きます。あの時から時間が止まったような風景のまま残っているところもあります。22日現在、34名(常総市HPより)の方が第二次避難所のホテルや旅館で避難生活を続けています。また、農家などでは、納屋などで仮住まいをしている方、2階生活をしている方もいます。これから自宅の立て直し工事が始まる方もいて、再建までには半年かかるそうです。
 水害後、家を乾かすのに解放していたせいか、ネズミが発生し、家の中に糞を撒き散らかしたり、食品を食べたりしてしまうような事態も一部の地域では起きているようです。やっと落ち着きを取り戻した家では、これまでの人の出入りなどがあり、それがなくなり緊張の糸が切れたようで疲れがどっと出ている人、体調を崩している人も少なくありません。
自宅が再建できても、生活用品、家電製品など家財道具すべてを失い、鍋釜、お箸ひとつから取り揃えなくてはなりません。出費も重なり、心労もかなりたまっています。


直後_s

まだ床板が_s


カビ大発生_s


 先日、常総市社会福祉協議会 地域支え合いセンターの主催のお茶会に参加させて頂きました。今回の被災地では公民館や集会所も大きな被害を受けて、いまだに再建できずに住民さんが集える場所がなくなっている地域があります。お茶会に参加した方は、「こうしてお話しすると、心がスーっとする」と話してくれました。現在はボランティアの人も減り、話し合い手も少なくなっています。張りつめた糸がきれ、これからまたぼちぼち片づけを続けなければならないのです。ある女性は「拭いても拭いても土埃が浮いてきて大変だ」と、「お雛様も流されたし・・・」とぽつりぽつり呟きます。


お茶会_s


お茶会1_s

お茶会2_s

お茶会3_s


 同じように地元で活動を続けているたすけあいセンター「JUNTOS」(運営:認定NPO法人茨城NPOセンター・コモンズ)が集めたつぶやきをいくつか紹介します。


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○私は78才です。老後のためにとっておいたお金は全部家の修理にかかってしまいました。この先のことを考えるとどうしていいのかわかりません。子どもたち二人も近くに住んでいるので、水害にあい、自分のことは自分で人に迷惑はかけられません。

○若い人たちが常総市から他の市町に出ていくのを聞くととてもさびしいです。

○犬を連れて避難した体育館には入れず三日三晩犬と校庭で座っていました。

○通勤距離時間が倍以上になりました。子どもが不安定で涙したりイライラしたりと少し心配になりました。実家からさらに遠くなったため、頼めることができず苦労しました。
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まだまだ、被災地は終わっていません。今後ともどうぞご支援の程よろしくお願いします。
                                                                                                   (増島 智子)

  水害から4ヵ月が過ぎた茨城県常総市の水害被災地へ頼政代表と共に訪問してきました。12月に第一次避難所が閉鎖され、第二次避難所の旅館やホテルで生活している被災者がいま約50人ほどいます。当センターは茨城NPOセンターコモンズの中にあるたすけあいセンターJUNTOSを通して支援活動を展開しています。そこで私たちは避難所を中心にサポートを行ってきました。常総の町では、まだ家の修復工事があちらこちらで見受けられます。


工事中2_s

工事中_s

 
  今回避難所でつながった被災者の方を訪問してきました。4ヵ月経ったいま、やっと家の修復の目途も出てきて少し顔色がよくなり気持ちが安定してきた人たちもいます。「家ができて、落ち着いたら、得意料理をごちそうするから、その時はぜひ来てくださいね」、「避難所で約束したから、お鍋食べに来て」などうれしい言葉を頂きました。ただ一方で被災地でよくあることですが、環境が変わるたびに心がついていかなかったり、これまでたまった疲れがでて病気になったり、体調が悪くなったりしている人もいます。
ある方は、「不整脈がみつかり手術をしないといけないかもしれない。」と不安げに話してくれました。いまのうちに病気を治しておこうかな・・・と。同時に「家を再建したけれども、9月10日から時が止まっていて、自宅での暮らしが再開した時に9月11日から始まる」、「家を再建したからといって、何もないからすべて揃えなければならないし、いっぺんには揃えられないし」と、自分に言い聞かせながら話してくれました。また、「落ち着いたからかしら、最近水害の日のことを思い出すことが多く、昨日も夢に出てきたの」という方もいらっしゃいました。
 「避難所の時が懐かしいよ、いろいろあったけれど、辛い時に同じ釜の飯を食ったんだからね。みんなに会いたいよ。みんなどうしているかね」と避難所ではあまり話をしなかった男性が堰を切ったように話してくれました。「避難所の同窓会でもしたいね」というとほとんどの方が「したい!」と言ってくれました。せっかく住み慣れた自宅の戻ったにも関わらず、転出者や引っ越した方も多く、コミュニティが分断され、孤立化し、人間関係が薄れ、寂しく暮らしている方も多いのです。避難所では人間関係など辛いこともあったれども、否が応でも人と触れ合うことができたのです。被災地では悲しいかなよくある現象です。一度壊れてしまった人間関係を取り戻すのは容易ではありません。阪神・淡路でも、東日本でも「孤独死」「関連死」など悲惨な死が続出しました。


 街は壊れても、暮らしは壊れないよう、新たな暮らしを再建しなければなりません。そのためにも住民主体の住まい方を街の人たちと模索していきたいと思います。
                                                                                                  (増島智子)


(1月15日茨城新聞)
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